子どもと東日本大震災の誓い

震災の日の星 亀谷あきこのプライベート

私は今でこそ、母親でも人生を楽しんだほうがいいよ!と思って口に出していますが、

子どもを授かってから10年は暗黒時代でした。

ワンオペ、ワーキングマザー、頼れる親類はいない、見知らぬ土地での育児をしたことで体力的にも精神的にもきつくて、ウツ状態になりました。

子どもとは笑顔で接することができなくて、毎日を終えることで明日がまた来ることに恐怖しながら生活していました。

出だしから暗いですよね(笑)なんとか生き延びています!

子どものことは専門知識があってもダメでした

こんにちは。

子どもの言動に振り回されて毎日イライラしているママが、親子で未来を語り合える仲にする専門の

亀谷あきこです。

私は生まれてから学生時代まで、今から振り返ると言動に特性があったんですよね。

癇癪がひどくて家族にあたったり、文字を読んでも文章の全体像を理解できなくて読書しても全く話が頭に入らなかったり、変なこだわりが強かったり、集中力散漫、・・・

私としては困っていたけど、それを誰に助けを求めていいかわからず、当時のことを考えると周囲の人に迷惑をかけながら成長してきたなという思いでです・・・

大人になり、宮城県に住み仕事を始めました。

そして2010年に長男が生まれました。

自分の子どもとは、こんなにも愛おしいものなのかと感動しました。

それと同時に、出産後の身体がボロボロになり2年は苦しみました。

それでも長男の夜泣きやお世話に対応していたので、心の方も削られていく毎日。

SNSを覗けばみんなキラキラした育児しているな・・・

私はこんなことしかしてあげられない・・・

収入も減っているため生活が非常にきつい

考えていたよりもはるかに0才の子育てがきつくて、今から考えるとウツの状態になっていました。

ウツ状態がひどいと、自分の状態を客観視できないので、「だれかに相談する」ということがすごくしんどいことで、そこまでしたくないという風に考えていたな。まともな思考回路していなかったですね。

子どもの幸せな未来のために、日本と世界の幸せが必要

そんな折、長男が9か月の時に2011年3月11日がやってきました。

市内にある乳幼児を遊ばせる場所に行った帰り、車の運転をしながら道路の信号が赤になっていたので、信号待ちをしていたところでした。

とつぜん道路が波のようにうねり、地上にあるすべての物はグニャングニャンに揺れ動きました。

私はあわてて後部座席のベビーシートに座っている息子に覆いかぶさりました。

その瞬間頭にあった言葉は「この子を守らないといけない」

それまで、ウツ状態にあった私ですが、その時気づかされたのです。

子どもを守れるのは、私だけ

私は生かされているんだ。

さらにその数日後におきた東京電力福島原発事故が起きたことで、日本中、世界中の人々の心が傷ついていました。

私の子どもの幸せを考えると、『我が家は幸せ』ではダメです

社会は一人ではつくれません。日本中、世界中の人が幸せで笑顔でいなきゃ。

その時に誓ったことは、「すべての人が幸せになる世界を作る」でした。

お読みいただきありがとうございました。

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